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オペラの楽しみ方

時代と共に移り変わる「言葉」

時代と共に移り変わる「言葉」

「もしもし」と言う枕言葉

「もしもし もしもし」 もう四十年前になりますか、初めて海外へ出るチャンスを与えられ、ヨーロッパを駆け足で巡ったのは。 スイスのスキー場でゆったりと五日間を過ごした後、北ドイツのハンブルグを経て、一転南ドイツのミュンヘンに到着しました。三日後にたまたま遊びに寄った留学中の同級生の家で、再会を楽しんでいる時に、卓上の電話機が外からの用事を告げたのです。慣れた手つきで受話器を手にした友人の口から発せられた第一声は「YAMADA」と、彼自身の名前を名乗る声でした。 その時は別に何とも思わなかったのですが、数日のうちに、ドイツ国内では外からの電話に対しては、必ず自らの名前を名乗るのだ、と言う事を知ったのです。 その当時、日本では受話器を取ると誰もが第一に発していた、「もしもし」と言う枕言葉がない事を大変奇異に感じた事でした。

民族が異なると電話のマナーが違う

数日後、私はウィーンの街中を歩いているようになりました。 見る物、聞く物全て目新しく、感激の連続で夢中ですごしている内に、ある事に気が付いたのです。それは、同じドイツ語圏なのにウィーンでは、受話器を取り上げた時は、自分の名前を名乗るドイツとは異なり、事もあろうに英語で「Hello!」と呼びかけていると言う事でした。 これは又驚きでした。「同じ言語を話すのに、民族が異なると電話のマナーが違う。」全てが初物づくめだったその時の私ですが、「へー、面白いものだなー」という興味が心の中で少し頭を持ち上げ始めたのです。
約一週間のウィーン滞在もそろそろ終わりが近づいて来ました。次の目的地イタリアのミラノまでは、飛行機代を節約し汽車で行くことにしていました。ようやく慣れて来たドイツ語圏から、今度はラテン語圏のイタリアへ行くのです。列車の乗り降りや、食事、ホテルの宿泊、その他生活全てがイタリア語になるのです。話せないながらも、ようやくドイツ語の持つ雰囲気に慣れて来た私にとって、胸の中はそれはもう、不安で一杯でした。 そこで、ミラノの駅まで友人に出迎えを依頼するため、友人宅の電話を借り、ミラノの友人宅へ電話をかけることにしました。

「フロント」と「プロント」

今では、日本でもさしてめずらしい事でもなく、かく言う当時の私の家の受話器もKDDとの契約で、国際電話は、ダイヤル直通になっていましたが、初めにナショナルコードを回し、次にエリアコードを、そして局番、ナンバーと手順通りにダイヤルをしてみました。可成り遠く、又ベルの鳴り方もウィーンやドイツとは異なる響きが耳を通して、初めての体験に高鳴る私の胸に伝わって来ました。
「ドイツでは、自分の名前を名乗り、ウィーンでは“ハロー”だった。イタリアも、たぶんいずれかどちらかだろう。エイ、何とかなるだろう」そう自分に言い聞かせながらダイヤルを回したのでした。 数回のコールの後、先方が出たのです!ああ、しかし先方からは期待していた友人の名前を聞くでもなく、耳慣れない発音で「プロント!」と言う言葉が発せられたのです。「はて困ったことになったぞ、当方はイタリア語なんてまるでしゃべれないし、何と言ったものかな…」と言葉に詰まりながら、それでも次の瞬間私の口からは、それこそ必死で「スィニョール・アライ・プレーゴ」―新井さんをお願いします―と、生まれて初めての正にたどたどしいイタリア語が発せられていたのです。
しかし、無情にも先方からは、全く早口のイタリア語が返って来るばかりなのです。
「プロント」?これは「フロント」の聞き間違いか知らん、ひょっとして、新井の奴、あ奴は金持ちだから大きな高級マンションにでも住んでいて、そこの交換手が電話に出て、「フロントですが、」と言っているのではないだろうか、そう直感的に考えた私は「スィニョール・アライ・ブレーゴ」をいたずらにくり返すのみでした。 今思うと、先方は何べんも、「プロント(もしもし)、プロント(もしもし)、ソニーオ(おれだ)、ソニーオ(おれだ)」とくり返してたのでしたっけ。 いい加減してしびれを切らした先方は、非常に耳慣れした日本語で「誰だ!ふざけてんのは…」と、ようやく云ってくれたのです。この時の私の安堵感と言ったら、それはもう、何とも形容のし難いものでした。
「なあんだ、川村さん?何を言ってんですか、ぼくは又、全くふざけた奴がいたもんだ、と思っていたんですよ」。

時代と共に移り変わる「言葉」

名前を名乗るでもなく、“ハロー”と答えるでもなく、外国にも、「もしもし」なんて言葉があったなんて……。 それにしても何時のころからか、我が日本でも、「もしもし(プロント)」、を聞かなくなりました。 いつの間にか日本中が、イタリア式からドイツ式になり、受話器を取ると「もしもし」を言わずに「川村ですが…」と言っているようです。 私達はここにも、時代と共に移り変わる「言葉」を一つ見ているのではないでしょうか。

(このエッセイは、約30年前に川村敬一が始めてヨーロッパ旅行をした際のものです。)